■れぎゅらーマンセー■

マジック界において、シカケがある物、またはタネそのものを「ギミック」と呼んだりします。対して、一切タネやシカケがないものを「ノーマル○○」「レギュラー○○」と呼んだりします。

マジックといえばタネもシカケもあるのが常ですが、練習を積むことでギミックに頼らず、演者の技法のみで「ノーマル○○」「レギュラー○○」を使って不思議な現象を起こす事ができるようになったりします。すごい。
さらに、その扱うもの自体にはタネがありませんから、相手に手渡して調べさせる事もできる。すごい。
技法面での失敗がなければ「タネがばれる」ということがない。すごい。

と、まぁ。いい事尽くめではありますが。

技法オンリーで行うマジックは演者の自己満足度が高いです。高いがゆえに独りよがりになりがち。だんだん、現象じゃなくて技法が前に出てきちゃう事もしばしば。ほら、こんなすごい事ができる自分を見て、みたいな。あと「もはやオレにギミックなど必要ない、そんなものを使うのは軟弱者だ!」とか思うようになったり。技法>ギミック のような力関係になってくるというか。

まるでそういう人を責めるように書いてはいますが、実は書いてるおいらもこの傾向があります。ありました。でもね。これ、「たぶん間違ってる」と思うようになったのね。

たぶんマジックとしてはレギュラー物よりギミック物の方がすぐれてますよ。だってレギュラーでできない事を起こすために生み出されたものですから。
レギュラーのすごさは改め(手渡し)があって初めて保たれるアイデンティティーがあると思います。改めはしなくていいよ、という土俵だったら圧倒的に立場は弱くなるはず。だから、やたらと改めたがる節があるのかな。

見る人にとっては結構どうでもいい時だってあるんです。そういうお客さんもいるんです。おいらとか(^^;)。もちろん他にもね。マジックが好きで、不思議な事を見せてくれる人が好き。そういう人に対してまで「ほら、どーですか。私が使うのはレギュラーですよ?すごいでしょ?調べてもいいんですよ?ほらほら」みたいのはうっとうしく見える事もあって。いいから早く見せてよ、みたいな。そんな時はおおいにギミック物を導入していけばいいだろうし、難しい技法を使ってあえて危険な橋をわたる必要もないだろうと思うんです。

レギュラーオンリーに凝り固まった人のマジックはどれも同じように見えてきちゃうのはしかたないところだろうし(道具そのものに限界あるからね)、全般的に現象は地味です。これもしかたない。道具がレギュラーだから。

レギュラー物が悪いわけじゃない。すごいのは事実。ただ、それだけに凝り固まるのではなく、状況に応じて「使い分け」る事ができるようになる事でワンランクアップするんだ、と思うようになったんです。

レギュラー物に自己陶酔して、ギミック物を軽視するなんて事があるならば、極めて愚かでもったいないことだと思います。視野が狭く、マジシャンとしてはあまり良いマジシャンであるとは思えませんし、そういう人はマジシャンとしてまず伸びないと思います。

追記:
ある時にコインマジックの大御所と呼ばれる方のマジックを拝見しました。現象が、第一段階、第二段階…と分かれて構成されており、マニアならある程度はついていけるようなマジックでした。ところが、最後に全くありえない現象が起きて、その場にいたマニア全員がひっくり返ったという場に遭遇しました。

初めから終わりまでず〜っとスライハンドで進めていたのに、最後の最後でちょっとしたギミックを入れたのです。これには「してやられた」と思いました。ギミックのすごさを再認識させらましたね。
<07/08/02 追記>


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